直球感想文 別館

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by wMUGIw
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女騎士エオン

◆エオン・ド・ボーモン/ジュヌヴィエーヴ・ド・ボーモン
1728-1810 82歳没

法律家ルイ・ド・ボーモンの息子として生まれ、法律を学び外交官となった。
エオンは政治・経済から剣術・馬術も堪能な文武両道かつ美男子だった。
そこでフランス国王ルイ15世はエオンに女装をさせ、
<シュヴァリエール・エオン>(女騎士エオン)として活用する。
男か女かフランス中の貴族から労働者までが賭けをした。

エオンに与えられた任務は、
断絶に近い状態にあったロシアとフランスの国交を回復させること。
女装してロシアのエリザヴェータ女帝の宮廷にもぐり込んだエオンは、
フランス仕込みの洗練された優美さでたちまち女帝のお気に入りとなった。
デオンは女帝にルイ15世からの親書を渡し、女帝から返書を得ることに成功した。
次の任務はイギリス国王ジョージ3世の軍事機密を盗むことで、
王妃に近づきこれに成功した。

しかしフランス革命により失脚、イギリスに亡命したデオンは
女装でフェンシングの見世物などをして83歳で亡くなった。
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# by wMUGIw | 2017-01-05 00:00 | 近世

エーメ・デュ・ビュク

◆エーメ・デュ・ビュク
1763-1817 54歳没

ナポレオンの前妻ジョゼフィーヌのいとこエーメ・デュブックは、
小さい頃に両親を亡くしたためマルティニック島でジョゼフィーヌと姉妹のように育った。
21歳のエーメは留学先のナントの修道院の寄宿学校から帰国する途中、
乗った船が海賊に襲われる。
そして女奴隷としてトルコのスルタンのハーレムに売られてしまったエーメは
泣き暮らしながら考えた。
オダリスクと呼ばれる女たちはハーレムからは一生出られない。
出るためには次のスルタンの母となるしかない。
スルタンのアブドゥル・ハミト1世はエーメに夢中になり
1年後金髪のマフムット王子が生まれた。
しかし母と王子という親子は他に何組もいた。
どの王子が次のスルタンになるかで母の地位も決まる。
ライバルが死んだり陰謀で自滅したりで、
晴れてエーメの子マフムット王子がマフムット2世としてスルタンに即位した。
とうとうエーメは異国トルコの地で女性の最高位に上りつめたのである。
この時エーメは44歳になっていた。
マフムット2世の時代には様々な分野に西洋様式を採り入れた。

ナポレオンが子供ができないことを理由に
ジョゼフィーヌと離婚したことを聞いたエーメは激怒する。
ナポレオンのロシア遠征の際に援軍を要請されたのにも関わらず、
トルコ軍を派遣しなかったのはエーメの復讐であった。



オスマン・トルコにハーレムができたのは
新しい宮廷がイスタンブールにおかれた15世紀といわれている。
ハーレムは「禁じられた」「神聖な」という意味で、
転じて外部の者を禁ずる場所という存在となった。

ハーレムには500人ほどの女性がいたが、
略奪されたり献上されたり奴隷市場で買われたりして集まった。
女性たちは礼儀作法や手芸、歌、踊り、楽器の演奏などから
言葉づかいまで訓練を受けた。
この女性たちはカディンという。
カディンの中からスルタンの正妻となる者が選ばれる。
正妻はスルタナと呼ばれる。
しかし、ハーレムの最上位はスルタンの生母である。

オスマン・トルコが国土を拡張するにつれて通常の婚姻が不可能になってきた。
そこで血統を絶やさぬためにハーレムが必要となったのである。
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# by wMUGIw | 2017-01-04 00:00 | 近代

メディチ家

◆ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ
1360-1429


◆コジモ・デ・メディチ
1389-1464


◆ロレンツォ・デ・メディチ
1449-1492


◆ジョヴァンニ・デ・メディチ→ローマ教皇レオ10世
1475-1521


◆ジュリオ・デ・メディチ→ローマ教皇クレメンス7世
1478-1534


◆コジモ1世 初代トスカーナ大公
1519-1574


◆フェルディナンド1世・デ・メディチ 3代トスカーナ大公
1549-1609


◆アレッサンドロ・オッタビアーノ・デ・メディチ→ローマ教皇レオ11世
1535-1605


◆フェルディナンド3世・デ・メディチ
1663-1713
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# by wMUGIw | 2017-01-03 00:00 | 近世

エステ家

◆ニッコロ3世・デステ
1383-1441


◆ボルソ・デステ 初代フェラーラ公
1413-1471


◆エルコレ1世・デステ 2代フェラーラ公
1431-1505


◆アルフォンソ1世・デステ
1476-1534


◆エルコレ2世・デステ
1508-1559


◆アルフォンソ2世・デステ
1533-1597


◆チェーザレ・デステ 最後のフェラーラ公
1561-1628
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# by wMUGIw | 2017-01-02 00:00 | 近世

ボルジア家

◆アルフォンソ・デ・ボルハ→ローマ教皇カリストゥス3世
1378-1458





◆ロドリーゴ・ボルジア→ローマ教皇アレクサンデル6世
1431-1503

*教皇のくせに愛人多数・庶子多数


■愛人の一人 ヴァノッツァ・カタネイ
1442-1518


●チェーザレ
フランス貴族アルブレ伯アランの娘シャルロット・ダルブレと結婚

●ホアン
スペイン貴族マリア・エンリケス・デ・ルナと結婚

●ルクレツィア
11歳でヴァレンシア貴族ドン・チェルビーノ・ホアン・デ・サンテーリャスと婚約破棄、
13歳でペーザロ伯ジョヴァンニ・スフォルツァと結婚、16歳で離婚、
18歳でビシェーリエ公アルフォンソ・ダラゴーナと再婚、20歳で暗殺死別、
22歳でフェラーラ公アルフォンソ1世・デステと再々婚、子供4人生み、39歳没。

●ホフレ
ナポリ王アルフォンソ2世の娘サンチャと結婚死別、マリア・デ・ミラと再婚


*ルクレツィアは金髪に青い瞳、小さな口元をした繊細な雰囲気の美少女だった。

*初婚と再婚の間に父の侍従ペドロ・カルデロンの子を生み、ペドロは暗殺される。




◆フランシスコ・ボルハ イエズス会総長
1510-1572


◆カルロス・デ・アラゴン・デ・グレア・イ・デ・ボルハ 第9代ビジャエルモサ公爵
1634-1692
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# by wMUGIw | 2017-01-01 00:00 | 近世


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