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カテゴリ:近世( 14 )

女騎士エオン

◆エオン・ド・ボーモン/ジュヌヴィエーヴ・ド・ボーモン
1728-1810 82歳没

法律家ルイ・ド・ボーモンの息子として生まれ、法律を学び外交官となった。
エオンは政治・経済から剣術・馬術も堪能な文武両道かつ美男子だった。
そこでフランス国王ルイ15世はエオンに女装をさせ、
<シュヴァリエール・エオン>(女騎士エオン)として活用する。
男か女かフランス中の貴族から労働者までが賭けをした。

エオンに与えられた任務は、
断絶に近い状態にあったロシアとフランスの国交を回復させること。
女装してロシアのエリザヴェータ女帝の宮廷にもぐり込んだエオンは、
フランス仕込みの洗練された優美さでたちまち女帝のお気に入りとなった。
デオンは女帝にルイ15世からの親書を渡し、女帝から返書を得ることに成功した。
次の任務はイギリス国王ジョージ3世の軍事機密を盗むことで、
王妃に近づきこれに成功した。

しかしフランス革命により失脚、イギリスに亡命したデオンは
女装でフェンシングの見世物などをして83歳で亡くなった。
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by wMUGIw | 2017-01-05 00:00 | 近世

メディチ家

◆ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ
1360-1429


◆コジモ・デ・メディチ
1389-1464


◆ロレンツォ・デ・メディチ
1449-1492


◆ジョヴァンニ・デ・メディチ→ローマ教皇レオ10世
1475-1521


◆ジュリオ・デ・メディチ→ローマ教皇クレメンス7世
1478-1534


◆コジモ1世 初代トスカーナ大公
1519-1574


◆フェルディナンド1世・デ・メディチ 3代トスカーナ大公
1549-1609


◆アレッサンドロ・オッタビアーノ・デ・メディチ→ローマ教皇レオ11世
1535-1605


◆フェルディナンド3世・デ・メディチ
1663-1713
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by wMUGIw | 2017-01-03 00:00 | 近世

エステ家

◆ニッコロ3世・デステ
1383-1441


◆ボルソ・デステ 初代フェラーラ公
1413-1471


◆エルコレ1世・デステ 2代フェラーラ公
1431-1505


◆アルフォンソ1世・デステ
1476-1534


◆エルコレ2世・デステ
1508-1559


◆アルフォンソ2世・デステ
1533-1597


◆チェーザレ・デステ 最後のフェラーラ公
1561-1628
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by wMUGIw | 2017-01-02 00:00 | 近世

ボルジア家

◆アルフォンソ・デ・ボルハ→ローマ教皇カリストゥス3世
1378-1458





◆ロドリーゴ・ボルジア→ローマ教皇アレクサンデル6世
1431-1503

*教皇のくせに愛人多数・庶子多数


■愛人の一人 ヴァノッツァ・カタネイ
1442-1518


●チェーザレ
フランス貴族アルブレ伯アランの娘シャルロット・ダルブレと結婚

●ホアン
スペイン貴族マリア・エンリケス・デ・ルナと結婚

●ルクレツィア
11歳でヴァレンシア貴族ドン・チェルビーノ・ホアン・デ・サンテーリャスと婚約破棄、
13歳でペーザロ伯ジョヴァンニ・スフォルツァと結婚、16歳で離婚、
18歳でビシェーリエ公アルフォンソ・ダラゴーナと再婚、20歳で暗殺死別、
22歳でフェラーラ公アルフォンソ1世・デステと再々婚、子供4人生み、39歳没。

●ホフレ
ナポリ王アルフォンソ2世の娘サンチャと結婚死別、マリア・デ・ミラと再婚


*ルクレツィアは金髪に青い瞳、小さな口元をした繊細な雰囲気の美少女だった。

*初婚と再婚の間に父の侍従ペドロ・カルデロンの子を生み、ペドロは暗殺される。




◆フランシスコ・ボルハ イエズス会総長
1510-1572


◆カルロス・デ・アラゴン・デ・グレア・イ・デ・ボルハ 第9代ビジャエルモサ公爵
1634-1692
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by wMUGIw | 2017-01-01 00:00 | 近世

ロココ調ヘアスタイル

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ロココ時代に奇妙な髪形が流行った。
とにかく巨大さと奇抜さを競った。

この髪形を作るためには、丸めた硬い芯や入れ毛を頭髪に入れ込まなければならなかった。
髪自体を練った小麦粉で固めて、理想的な白さが得られるようにした。
練り粉が乾くと紙張子のような感じに仕上がる。
髪形もいろんなバリエーションがあった。
人物、馬車、庭、最新のゴシップ、話題の出来事が頭の上の飾りになった。

専門の髪結師が長時間かけて作り、
次の予約までは3~4週間待たなければならなかったから、
本人も相当の忍耐力を試される。
いくら堅く固めてあっても髪のセットは崩れやすい。
それにシラミの天国であった。
シラミやノミがひどい時は髪型に割れ目を作って虫退治が行われた。

男女ともに大量の小麦粉を消費したために、
食料用の小麦粉が不足し民衆の不満が高まった。
フランス革命の遠因となったとも言われる。


こんなのでマジに舞踏会に行っていたのであります
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風刺画  ここまで巨大になるとお付きの者が支える必要がありますね
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風刺画  支度も大変
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風刺画  もはや建築物
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by wMUGIw | 2016-01-15 00:00 | 近世

コワフュール・ア・ラ・フォンタンジュ

コワフュール・ア・ラ・フォンタンジュとは、フォンタンジュ風髪型の意味。
17世紀後半から18世紀前半にかけて流行した。

フランス国王ルイ14世の愛人であったフォンタンジュ夫人が王と狩りに行った時
帽子が風に飛ばされたてしまったため、
とっさに靴下留めのリボンで乱れた髪を結いあげた。
王がフォンタンジュ夫人の機転を喜んだことからヨーロッパ中に大流行した。

最初はリボンで高く髪を結いあげただけだったが、
徐々に高さを競い合うようになりタワーのようにそびえ立つまでになった。


モデルはイギリス女王メアリー2世さんです。
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映画『英国式庭園殺人事件』より
頭が高層ビル群のようになっています・・・
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by wMUGIw | 2016-01-14 00:00 | 近世

マホとマハ

マホとマハはスペイン版モボ・モガです。(モダンガール・モダンボーイ)
いなせな男と小粋な女です。喋り方は下町のべらんめえ調。
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マホは縁取りの付いた短い上着を着てスカーフを巻き、頭に洒落た帽子をかぶり、
髪は長く伸ばして背中のあたりで結んでいる。
半ズボンは膝の下でキュッと締まり縁飾りがついており、
ストッキングに先の尖った女性用のような靴。
そしてウエストに幅広の飾り帯をする。
極端に言うと、闘牛士のような感じ。

マハは、ウエストを絞ったロングスカートに胸の開いたブラウス、
肩には薄い肩掛けをして髪に大きな櫛をさし、頭にはレースのショールを被る
先の尖った靴を履いて、扇子を持つ。
極端に言うと、カルメンのような感じ。

彼らは生粋のスペインっ子であることに誇りを持っており
そのため衣装もスペインの伝統的なデザインのものを身に着けていた。
18世紀後半になるとマホ・マハの格好を貴族が真似し始める。
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by wMUGIw | 2016-01-12 00:00 | 近世

スワドリング

西洋では赤ちゃんを布でぐるぐる巻きにする習慣が長い間続いていました。
これはスワドリングと呼ばれ、両脚をまっすぐにするために行われていたのです。
しかし赤ちゃんの脚を無理に伸ばすのはかえって股関節異常を招くので、
歴史上の王子や王女に脚の不自由な人が多いのもこの習慣のせいかもしれません。


フランス国王ルイ14世と乳母

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包帯からニット素材になってちょっと快適?

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子供が成長して2~3歳になると、今度は檻のような枠の中で何時間も立たせておきます。
こういう段階を科してやっときちんと二本足で歩けるようになると信じられていたのです。

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フランス国王アンリ2世&カトリーヌ・ド・メディチ夫妻の子供たち
エルキュール・フランソワ王子と双子のジャンヌ王女&ヴィクトワール王女
こ、これはあまりにも・・・ た~らこ~が や~ってくる~♪

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by wMUGIw | 2016-01-11 00:00 | 近世

グランドツアー

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18世紀イギリスでは、貴族の子弟たちを国際人に養成するために
ヨーロッパに遊学させるグランドツアーが流行していた。
当時文化的先進国であったフランスとイタリアが主な目的地で、一種の修学旅行である。

しかし私たちの修学旅行とはケタが違う。
日常生活に困らないよう使用人を多数引き連れ、
オックスフォードかケンブリッジの家庭教師を雇う。
現地では政治・経済・文化・語学などを家庭教師から学び、
観光や買い物、お土産選びを楽しむ。その期間は数年に及ぶ。
ローマでは、遺跡やルネサンスの作品を観て、ローマ帝国の偉大さに思いを馳せる。

貴族の子弟たちが触れるのは文化や伝統の香りばかりではなく、現地の悪臭だ。
道は泥んこ、宿屋のベッドは虫だらけ、パリもローマも糞と汚水にまみれた街だったのだ。
公衆衛生はイギリスの方が優れていたようだ。

またグランドツアーでやってくるおのぼりさんをカモにしようとする
現地の人間が手ぐすね引いている。
娼婦を買って病気をもらったり、賭博でいかさま師に騙されたり、
偽物の美術品をつかまされたり。

イギリス人はイギリス人同士で固まるので、語学も身につかない。

パリでは彼らはフランス風の衣服を身にまとい、
イギリスらしい田舎じみた痕跡を抹消しようとした。



フランス風に頭を盛り上げ、化粧をして帰ってきた息子の姿に仰天している父親の風刺画。
まさに放蕩息子の帰還である。
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by wMUGIw | 2016-01-09 00:00 | 近世

パニエ

パニエは18世紀ロココ時代に流行ったシルエット。
マリー・アントワネットの時代にあたる。

以下のような張り型でこのシルエットを作る。
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ヴェルサイユでは一人が3倍も4倍も席を必要としたため
全員が席につけず、時には争いの種にもなった。
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劇場の入口で貴婦人の手にキスをしている紳士。
横には立てないので、背後から挨拶のハンドキスをせざるをえない。
女性もスカートがあまりにも大きいので真っ直ぐに出入りできずカニ歩きをしている。
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by wMUGIw | 2016-01-05 00:00 | 近世


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