直球感想文 別館

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カテゴリ:近代( 17 )

エンパイアスタイル

フランス革命後、衣装は一変した。
ナポレオンによる帝政時代に当たるためエンパイアスタイルと呼ばれる。
ギリシャ・ローマ時代に着想を得ているため、
ゴテゴテの派手派手だったアントワネットのドレスから
シースルーのシュミーズ、つまり下着が公然と着られるドレスになったのである。
シュミーズの下はコルセットも下着もつけなかったので、痴漢が横行したという。

その上、冬でもこのドレスを着るのだ。
インフルエンザが流行すると多くの女性が亡くなった。
おしゃれも命がけである。


モデルはレカミエ夫人です。
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by wMUGIw | 2014-07-13 00:00 | 近代

アンクロワイヤーブルとメルヴェイユーズ

フランス革命後のパリに異様な格好をした若者が現れた。
究極の洗練とは病弱なことであるとの考えのもとに、
男性は病み上がりのように髪はボサボサ、
首元には何重にもスカーフを巻き、人によっては口元まで隠していた。
近眼も病弱の一つと眼鏡をアクセサリーにし、ステッキではなく棍棒を持って歩いた。
何かと言うと「アンクロワイヤーブル!」(信じられない!)が口癖だったため、
彼らのことをアンクロワイヤーブルと呼ぶようになった。

対する女性の方は健康的というか健康的すぎるというか、
ギリシャ・ローマ時代をお手本にした透き通る布地で作ったドレス、
早い話がシュミーズ姿で歩き回った。
ついこの間までアントワネットを代表とするコルセットにパニエ、
天に届く髪型が主流だったが、
彼女たちはコルセットも下着も脱ぎ捨ててしまい、
シースルーのドレスでは丸見えの状態だった。
こちらは「素晴らしい!」というわけで「メルヴェイユーズ」と呼ばれた。


200年前の不良の男女
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前のめりに歩いてるのは病弱の演出?
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by wMUGIw | 2014-07-12 00:00 | 近代

召使いの名前

基本的に、使用人はファーストネームを呼び捨てされる。
ハウスキーパー(家政婦)とコック(女料理人)は、
未婚既婚に関係なくファミリーネームにミセスを付けて呼ばれる。
ガヴァネス(女家庭教師)は、ファミリーネームにミスを付けて呼ばれる。
レディーズメイド(小間使い)とパーラーメイド(客間女中)などの上級使用人は、
ファミリーネームのみで呼ばれる。

使用人には使用人らしい名前というものがあり、
本名がゴージャス過ぎる場合は無視して御家族が勝手に決めた。

メイドとして正しいファミリーネームとは、
スミスやジョーンズといった、イギリスでもっとも多いファミリーネームである。

そしてメイドとして正しいファーストネームとは、
メアリー、ジェーン、マーサなど、18世紀以前からある伝統的なファーストネームである。

役職ごとに固定の名前を決めているお屋敷もあった。
メイド頭は常にエミリー、その下はジェーン、
コックはシャーロットで、キッチンメイドはメアリーという風に。

男性の場合も同じく、
チャールズ、ジェイムズ、ジョン、ジョン・トマスなどと呼ばれるのが普通だった。
何人もの同じ役職の使用人がいる場合は、
第一使用人をチャールズ、次はジェイムズ、次はジョンとする。
それゆえ本名チャールズなのにジョンと変えられたりすると最初は混乱したそうだ。
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by wMUGIw | 2014-07-10 00:00 | 近代

ファッションプレート

18世紀、流行のファッションは蝋人形で届いた。
上流階級には服屋から最新ファッションを身に着けた小さな蝋人形が届く。
蝋人形は最新ファッションをまとっている。
つまりこれは<カタログ>なのである。

しかしブルジョワ階級の勃興により沢山のカタログを送る必要に迫られた。
そこで蝋人形に代わる見本として印刷物がとって替わった。
ファッション・プレートの誕生である。

これまでファッションの発信地はイタリア、オランダ、イギリス、ロシア・・・と
様々であり、一国が独占することはなかった。
しかしファッション・プレートの誕生により、
フランスがヨーロッパのモードを支配するようになったのである。

それまでにも衣装に関するプレートは存在した。
しかしそれは王族などの衣装の記録や、民族の風俗・衣装の記録版画であり、
新しい流行を知らせるものではなかった。

そこで18世紀までの物はコスチューム・プレートと呼ばれ、
それ以降の物はファッション・プレートと呼ばれる。

このファッション・プレートは19世紀末で無くなっていくが、
ファッション・ブックやファッション・マガジンに発展していく。


当時の風俗もわかる
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男性服の流行もわかる
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子供服の流行もわかる
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ドレスの前と後がどのようになっているのかがわかる
(当時既製品は存在しませんから、仕立屋さんに頼む時にも自分で作る時にも必要)
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by wMUGIw | 2014-07-08 00:00 | 近代

バッスル

バッスルは19世紀後期に流行ったシルエット。
日本では明治の鹿鳴館の時代にあたる。

以下のような張り型でこのシルエットを作る。
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初期は比較的なだらかなラインでしたが
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最終的にここまでふくれました
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一時は円柱みたいなラインも登場しました。とても歩きにくかったそうです。
確かにコケたらどうやって立ち上がればいいのか・・・。
ま、貴婦人は絶対に一人で外出したりしませんでしたから大丈夫だったのでしょう。
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by wMUGIw | 2014-07-07 00:00 | 近代

クリノリン

クリノリンは19世紀中期に流行った巨大なドーム型のシルエット。

以下のような張り型でこのシルエットを作る。

3枚目のメイドをご覧下さい。柱に自分をくくりつけて着付けに挑んでおります。
犬もあきれ顔。
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クリノリンが引っかかって転倒したり、暖炉などの火がスカートに引火したり、
事故も多発した。
年間20,000人が事故に遭い、年間3,000人が死亡したと言われる。
おしゃれに賭ける情熱恐るべし。


風刺画
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風刺画
スカートが広すぎて届かないので、
炉端焼きの大きなしゃもじのようなもので給仕している
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by wMUGIw | 2014-07-06 00:00 | 近代

マタ・ハリ

芸名 マタ・ハリ(マレー語で太陽の意味)
本名 マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ
1867-1917 50歳没 

*第一次世界大戦中ドイツ側スパイとして処刑

裕福なオランダ人の両親のもとに生まれたが、父が事業に失敗して一家離散となる。
19歳の時、新聞広告で花嫁を募集していた
11歳年上のオランダ人将校ルドルフ・ジョン・マクリード大尉と結婚、
オランダ領であったジャワに赴任する。

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2人の子供をもうけるが7年後に離婚、
パリにやってきたマルガレータは、
ジャワ出身の踊り子マタ・ハリと名乗り、一世を風靡する。
ほとんどストリップショーのようなものであったが、胸だけは絶対に見せなかった。
乳房が垂れているのが欠点だったからである。

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当時のダンサーは高級娼婦とイコールであり、
軍服好きのマタ・ハリは特に軍人を好んだ。
フランス軍人・ドイツ軍人を始め各国の軍人と関係を持つにつれ、
スパイとして利用されることになる。
コードネームは「H1」であったが、大した働きをしたわけではなかった。
右から聞いたことを左へ、左から聞いたことを右へ、
スパイという立場に酔って囁いただけである。
しかしフランス・ドイツ両軍人と関係を持っていたマタ・ハリは二重スパイを疑われ、
パラス・ホテルの自室で朝食中に逮捕される。

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逮捕状 
マルガレータ・ツェレ、別名マタ・ハリ、
外国人、オランダ生まれ、宗教プロテスタント、身長175センチ、
スパイ行為において敵国に通じ作戦に加担したとして告発する。
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1917年02月13日マタ・ハリはパリ裁判所に連行され、
4ヶ月後の10月15日早朝処刑された。

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by wMUGIw | 2014-01-11 00:00 | 近代

メイドとジェントルマンの恋

ヴィクトリア時代にメイドとジェントルマンが結婚したケースがあった。
これだけ聞くとロマンスだが、この二人には裏があった。
裏というより奥行きかもしれない。
身分違いの恋、マニア、フェチ、覗き、SM、コスプレ、トランスジェンダー…
二人の関係には様々な要素が含まれている。


◆アーサー・ジョセフ・マンビー 
1828-1910 82歳没
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アーサーはアッパー・ミドル・クラスに生まれ、ケンブリッジ大学を卒業して法廷弁護士となった。
二十代の頃から、趣味として女性労働者の生活や写真を収集していた。
当時蔑まれていた女性労働者に尋常ではない関心を抱き、
彼女たちの労働内容、服装、人格を毎日執拗に記録していた。
労働者階級の女たちを観察したいという欲求のためだけにフランスに出かけたこともあった。
街で女性に気安く話しかけるという習慣が災いして、
切り裂きジャックの疑いをかけられたこともあった。
この趣味は家族も友人も誰一人知る者はなかった。


◆ハナ・カルウィック 
1833–1909 76歳没
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ある日、アーサーは黒いボンネットを被った長身で姿勢の良い女性を見かけ話しかけた。
彼女の名はハナ・カルウィック、8歳からメイドとして働いてきた女性だ。
アーサー25歳、ハナ20歳の時のことだった。

二人はアーサーの部屋で秘密の時間を過ごすようになる。
しかしこれは大変危険なことだった。
当時、身分違いの恋愛は、アーサーにとってもハナにとっても、
解雇されても当然のタブーだったのである。
しかし、二人は密室でファンタジーを楽しんだ。

ハナは外出着ではなく汚れた雑役女中の服を着て、
彼の足もとに跪いてブーツを舌できれいにした。
ハナがいろいろな女性や男性に扮したコスプレ写真も撮っている。
ハナがアーサーを持ち上げて部屋を歩き回ったりもした。
ハナは手首に奴隷のバンドを巻き、首には鍵付きの首輪をしていた。
二人は一緒のときは部屋でプレイし、離れている時には日記でプレイをした。
時には、アーサーは勤め先でハナが玄関回りを四つんばいになって掃除しているところを
見に来たりした。


メイド
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貴婦人
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男装
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煙突掃除夫
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聖女
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アーサーはこうした携帯型アルバムの左右に
ハナの対照的な写真を入れて持ち歩いていた
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19年後二人は、アーサー44歳、ハナ39歳の時に結婚したが、ハナは乗り気ではなかった。
秘密の結婚式を挙げ、フランスでのハネムーンから戻ると、
ハナは貴婦人のドレスを脱ぎ再びメイドを続けた。
それはアーサーの希望でもあった。

後に一時同居したこともあったが、うまくいかなかった。
ファンタジーと日常生活の両立が難しかったのだろう。
ハナは田舎に移った。
お互いに行き来はあったが、生涯別居のままであった。
二人の関係は死が二人を分かつまで50年に及んだ。


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by wMUGIw | 2014-01-10 00:00 | 近代

油絵と旅する男

ゲインバラ 『デボンシャー公爵夫人ジョルジアーナ』 1787年
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1876年、オークションにかけられたこの絵は、ある画廊に落札される。
しかし何者かがこの絵を画廊から盗んだ。
犯人はアダム・ワース。列車強盗や銀行強盗の常習犯だった。
しかし、この絵を盗んだ後、彼の消息はプッツリ途絶える。

16年後、列車強盗に失敗したワースは逮捕される。
彼はこの絵について口を割らず、7年の刑に服した。
それから2年後、死期を悟ったワースは、この絵を持ち主に返した。

彼はこの絵の夫人に恋をしてしまったのだ。彼はこの絵を肌身離さず持ち歩いていた。
「私の25年は公爵夫人との駆け落ちだった」
ワースの最期の言葉だった。
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by wMUGIw | 2014-01-09 00:00 | 近代

ベルト・モリゾの娘

◆ジュリー・マネ 
1878-1966 88歳没

ジュリー・マネは女流画家ベルト・モリゾと
モネの弟ウジェーヌ・モネ夫妻の一人娘である。
両親のサロンには様々な画家たちが集まった。

印象派の仲間としてルノワールを支えてくれたモリゾの夫ウジェーヌが亡くなった。
その後、母モリゾも喪って孤児となった16歳のジュリーの後見人を
ルノワール、ドガ、マラルメが務めた。

そして22歳の時、画家のエルネスト・ルアールと結婚した。


ルノワール 『ジュリー・マネ』 1887年
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ルノワール 『ベルト・モリゾとジュリー』 1894年
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左側エルネスト&ジュリー夫妻 
右側ポール・ヴァレリー&ジュリーのいとこジャニ・ゴビヤール夫妻
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by wMUGIw | 2014-01-08 00:00 | 近代


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