直球感想文 別館

2017年 更新中
by wMUGIw
カテゴリ
古代
中世
近世
近代
現代
その他
以前の記事

カテゴリ:その他( 6 )

乳丸出しファッション

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
1593年の証言

乳房は高く高く持ち上げられている。
真ん丸い魅惑的な乳首は、大胆というか不道徳というか、
触ってくださいと言わんばかりにはみ出ている。
ありのままの姿を最上とする天然の果実のようなものだ。
またまさに果実のごとく食べられることを欲している。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

長年疑問だった西洋服飾史における乳丸見せ問題に一つの解答を得ることができました。

乳房を見せるか見せないかについては、何世紀にもわたって論議がされてきた。
乳房の露出を批判する書物もたくさん出版された。

乳首ピアスが流行した時期もあった。
左右の乳首にチェーンを渡してネックレスのようにする場合もあった。

要するに乳を丸見せするファッションは現れては消え、現れては消え、
存在したということですねえ。


18世紀 中期
c0297671_22311992.jpg

[PR]
by wMUGIw | 2016-07-02 00:00 | その他

スワドリング

西洋では赤ちゃんを布でぐるぐる巻きにする習慣が長い間続いていました。
これはスワドリングと呼ばれ、両脚をまっすぐにするために行われていたのです。
しかし赤ちゃんの脚を無理に伸ばすのはかえって股関節異常を招くので、
歴史上の王子や王女に脚の不自由な人が多いのもこの習慣のせいかもしれません。


フランス国王ルイ14世と乳母

c0297671_2342413.jpg



包帯からニット素材になってちょっと快適?

c0297671_2343441.jpg



子供が成長して2~3歳になると、今度は檻のような枠の中で何時間も立たせておきます。
こういう段階を科してやっときちんと二本足で歩けるようになると信じられていたのです。

c0297671_2344597.jpg



フランス国王アンリ2世&カトリーヌ・ド・メディチ夫妻の子供たち
エルキュール・フランソワ王子と双子のジャンヌ王女&ヴィクトワール王女
こ、これはあまりにも・・・ た~らこ~が や~ってくる~♪

c0297671_2345899.jpg

[PR]
by wMUGIw | 2016-07-01 00:00 | その他

ボルジア家

◆アルフォンソ・デ・ボルハ→ローマ教皇カリストゥス3世
1378-1458





◆ロドリーゴ・ボルジア→ローマ教皇アレクサンデル6世
1431-1503

*教皇のくせに愛人多数・庶子多数


■愛人の一人 ヴァノッツァ・カタネイ
1442-1518


●チェーザレ
フランス貴族アルブレ伯アランの娘シャルロット・ダルブレと結婚

●ホアン
スペイン貴族マリア・エンリケス・デ・ルナと結婚

●ルクレツィア
11歳でヴァレンシア貴族ドン・チェルビーノ・ホアン・デ・サンテーリャスと婚約破棄、
13歳でペーザロ伯ジョヴァンニ・スフォルツァと結婚、16歳で離婚、
18歳でビシェーリエ公アルフォンソ・ダラゴーナと再婚、20歳で暗殺死別、
22歳でフェラーラ公アルフォンソ1世・デステと再々婚、子供4人生み、39歳没。

●ホフレ
ナポリ王アルフォンソ2世の娘サンチャと結婚死別、マリア・デ・ミラと再婚


*ルクレツィアは金髪に青い瞳、小さな口元をした繊細な雰囲気の美少女だった。

*初婚と再婚の間に父の侍従ペドロ・カルデロンの子を生み、ペドロは暗殺される。




◆フランシスコ・ボルハ イエズス会総長
1510-1572


◆カルロス・デ・アラゴン・デ・グレア・イ・デ・ボルハ 第9代ビジャエルモサ公爵
1634-1692
[PR]
by wMUGIw | 2016-01-04 00:00 | その他

メディチ家

◆ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ
1360-1429


◆コジモ・デ・メディチ
1389-1464


◆ロレンツォ・デ・メディチ
1449-1492


◆ジョヴァンニ・デ・メディチ→ローマ教皇レオ10世
1475-1521


◆ジュリオ・デ・メディチ→ローマ教皇クレメンス7世
1478-1534


◆コジモ1世 初代トスカーナ大公
1519-1574


◆フェルディナンド1世・デ・メディチ 3代トスカーナ大公
1549-1609


◆アレッサンドロ・オッタビアーノ・デ・メディチ→ローマ教皇レオ11世
1535-1605


◆フェルディナンド3世・デ・メディチ
1663-1713
[PR]
by wMUGIw | 2016-01-03 00:00 | その他

エステ家

◆ニッコロ3世・デステ
1383-1441


◆ボルソ・デステ 初代フェラーラ公
1413-1471


◆エルコレ1世・デステ 2代フェラーラ公
1431-1505


◆アルフォンソ1世・デステ
1476-1534


◆エルコレ2世・デステ
1508-1559


◆アルフォンソ2世・デステ
1533-1597


◆チェーザレ・デステ 最後のフェラーラ公
1561-1628
[PR]
by wMUGIw | 2016-01-02 00:00 | その他

ハプスブルク家の御面相

日の沈まぬ帝国ハプスブルク家ですが、ご面相に特徴があることでも有名です。
具体的には、ワシ鼻&受け口&タラコ唇の三点セットです。


「中世最後の騎士」と呼ばれるマクシミリアン1世あたりからいってみましょうか。
きてます、すでにきてます。ワシ鼻&受け口が確認できます。
唇は定かでないので大目にみましょう。

c0297671_320645.jpg



次はマクシミリアン1世の息子のフィリップ皇子。
美男子だったため通称「フィリップ美公」。
ハプスブルク家の特徴は出てないようですが、
かと言って美貌の王というもうなずけません。
しかし美しさは時代とともに変わるのでこれも大目にみましょう。

c0297671_3202856.jpg



しかしこちらの絵では誤魔化しきれません。これは三代勢ぞろいの図です。
つば広帽子をかぶっている3人のうち、
左に立っているのがマクシミリアン1世。
右に立っているのが息子のフィリップ。
座っているのが孫のカール5世/カルロス1世。
マクシミリアン1世の奥さん、マリー・ド・ブルゴーニュも呆れ顔です。

c0297671_3204318.jpg



孫のカール5世/カルロス1世の別の肖像画がこちらです。
両親は美貌のフィリップ皇子と美貌のスペイン女王フアナ・通称狂女フアナ。
きました、三点セットです。鼻もアゴもすべり台のようです。
カルロス1世は「ハエが口に入るから閉じるように」
と側近からしょっちゅう注意されていたそうです。
美貌の両親をもってしても止められないハプスブルク家の遺伝、恐るべし。

c0297671_321104.jpg



次の代からハプスブルク家は、
オーストリアハプスブルク家とスペインハプスブルク家に分かれます。

まず本家のオーストリアハプスブルク家からいきましょうか。
時代は下りますが、なんと言ってもレオポルト1世。
ほれぼれするような三点セットで、巨大なタラコ唇です。
宮廷画家が美化してこれなんですから、実際に会ったら唇から目が離せないでしょう。

c0297671_3213075.jpg



また時代は下がってマリア・テレジア。
男性と違ってこちらは、そり鼻&丸アゴ&おちょぼ口の三点セットです。

c0297671_3214776.jpg



この女性三点セットは娘たちに遺伝して、
美貌のマリー・アントワネットも実はこの女性三点セットですね。
オーストリアハプスブルク家は続きますが、アントワネットはギロチンの露と消えます。

c0297671_322072.jpg



では分家スペインハプスブルク家にまいりましょう。
カルロス1世の息子フェリペ2世、フェリペ2世の息子フェリペ3世は控え目な三点セット。


フェリペ2世
c0297671_3222027.jpg


フェリペ3世
c0297671_3223213.jpg



そしてフェリペ3世の息子フェリペ4世。来ましたね、三点セット。
カルロス1世の再来と言ってもいいでしょう。
口元の噛み合せがどうなっているのかわからないぐらいぐちゃぐちゃです。

c0297671_3225274.jpg



フェリペ4世の娘にベラスケスの絵で有名なマルガリータ王女がいます。
この人は女性三点セット。小さい時はかわいかったのに。

c0297671_3231030.jpg

c0297671_3232039.jpg



その上、タラコ唇レオポルト1世に嫁いでいます。
叔父と姪の近親結婚でしたが、夫婦仲は良かったようです。
この二人に子供が生まれていたらサラブレッド級のルックスだったと思うのですが、
マルガリータは若くして亡くなってしまいます。

c0297671_3233745.jpg



そしてフェリペ4世の息子カルロス2世。
この人は男性三点セットと女性三点セットが混在したような人で不気味です。
実際、体力も知力も無く人々は彼を「エル・サチード」(呪われた王)と呼んでいました。
後継ぎも残せず、スペインハプスブルク家に終わりをもたらしました。

この遺伝は近親結婚を繰り返したからと言われていますが、
ではなぜ近親結婚を繰り返さねばならなかったのか。
結婚相手がいなかったからですね。
ハプスブルク家はカトリックの家元のような国。
ところが周囲の国々はどんどんプロテスタント化していく。
二つのハプスブルク家の間で結婚するしかなかったんですね。

c0297671_3235554.jpg

[PR]
by wMUGIw | 2016-01-01 00:00 | その他


お気に入りブログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル