直球感想文 別館

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ダリの妻

『ポルト・リガトの聖母』 1950 ダリ
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サルバドール・ダリ 
1904-1989 85歳没
ガラ・エリュアール 
1894-1982 88歳没


この絵のモデルは妻ガラである。
ガラは悪妻と言われる。
詩人の妻だったガラはダリと恋に落ち、夫と子供を捨ててダリと結婚する。
しかし若いアーティストたちと奔放に恋愛を楽しみ、ダリを苦しめた。

また、アメリカならダリの絵が売れると確信して、
ダリとアメリカに渡り大々的なプロモーションをした。
ダリの奇抜なルックスやパフォーマンスもガラの演出だった。
周囲は非難したが、ダリのガラへの愛は揺るがなかった。

ダリはスペインの裕福な家庭に生まれた。
ダリが生まれる前に死んだ兄がいて、
両親は生まれた子に死んだ兄と同じサルバドールという名前をつけた。
すでに存在しない人間と同じ名前をつけられたことで、
ダリは生涯自分の命を実感できずに苦しむことになる。
兄の部屋に連れて行かれるのが何よりも恐ろしかったと語っている。

「ガラは私を現実から守ってくれる殻である」とダリは言った。
「ガラの存在なしでは私はダリになりえなかった。
彼女は私の母であり、私の酸素であった」
ダリにとってガラはついに聖なる存在にまで昇りつめたのだ。

ガラが亡くなるとと激しく落胆し、プボル城に引きこもった。
生涯、絵を描くこともなくなってしまった。

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by wMUGIw | 2015-03-09 00:00 | 現代

ベルト・モリゾの娘

◆ジュリー・マネ 
1878-1966 88歳没

ジュリー・マネは女流画家ベルト・モリゾと
モネの弟ウジェーヌ・モネ夫妻の一人娘である。
両親のサロンには様々な画家たちが集まった。

印象派の仲間としてルノワールを支えてくれたモリゾの夫ウジェーヌが亡くなった。
その後、母モリゾも喪って孤児となった16歳のジュリーの後見人を
ルノワール、ドガ、マラルメが務めた。

そして22歳の時、画家のエルネスト・ルアールと結婚した。


ルノワール 『ジュリー・マネ』 1887年
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ルノワール 『ベルト・モリゾとジュリー』 1894年
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左側エルネスト&ジュリー夫妻 
右側ポール・ヴァレリー&ジュリーのいとこジャニ・ゴビヤール夫妻
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by wMUGIw | 2015-03-08 00:00 | 近代

ベルト・モリゾ

マネ 『バルコニー』 1868年 座っている女性がベルト
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◆ベルト・モリゾ 
1841-1895 54歳没


■夫 マネの弟 ウジェーヌ・マネ
1833-1892 59歳没


ベルト・モリゾは高級官僚の娘で画家を目指していたが、それは容易なことではなかった。
女性が外で働くことさえ稀な時代であり、国立美術学校も女性の入学を認めていなかった。
女性たちはルーヴル美術館で模写をしながら絵を学んでいたのである。
そんな彼女に、マネがモデルになってほしいと声をかける。
ベルトはこれをきっかけに絵画の教えを受けようとしたが、
マネは彼女をモデルに次々と傑作を生み出すのみであった。

マネはベルトに自分の画風を見習うように強制した。
黒を基調とするマネに対して、ベルトは全体的に白い色調で柔らかな絵を描いたからだ。
さらにベルトがサロンに出店するために描いた
『モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人』をマネは描き直した。
この絵は入選を果たしたが、川に身を投げた方がましと彼女は言った。

彼女は師を離れて印象派に参加する。
そしてマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚し、夫の支えで次々と作品を生み出して行った。

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by wMUGIw | 2015-03-07 00:00 | 近代

ユトリロの母

◆シュザンヌ・ヴァラドン 
1865-1938 73歳没

シュザンヌは洗濯女の私生児として生まれた。
母とともにパリへ移り住み絵のモデルになる。
美しいヴァラドンはモンマルトルの画家たちと奔放に恋愛し、
18歳で父親がわからない息子ユトリロを生む。

一流の画家に接することによって、彼女もまた画家を目指すようになった。
当時女性がヌードを描くことは挑発的だと非難されたが、
彼女はひるむことなく自分のテーマを追い続けた。
彼女のヌードからはエロティシズムよりも生の身体の迫力が伝わってくる。

ヴァラドンはユトリロが画家として成功するまで
息子に絵画の才能があるとは思っておらず、
また息子も母から絵画を学ぶことはなかったため、
互いに影響を受けることなく独自の画風を確立している。

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by wMUGIw | 2015-03-06 00:00 | 近代

ミレイの妻

◆ユーミフィア/エフィ・グレイ 
1828-1897 69歳没

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■前夫 ジョン・ラスキン 
1819-1900 81歳没

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■後夫 ジョン・エヴァレット・ミレー 
1829-1896 67歳没

ユーフィミアは離婚訴訟を起こした。
しかし、ヴィクトリア時代の社会はユーフィミアを非難した。
一大スキャンダルとなったが、なんとか離婚が成立した。
そしてミレーとユーフィミアは結婚する。
そして8人もの子供が生まれた。

ラスキンの方は、39歳の時に10歳の少女に求婚したりした。

ちなみにラスキンはオックスフォードの教授だった時、
同僚のルイス・キャロルと親しかったそうだ。
類は友を呼ぶ…

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by wMUGIw | 2015-03-05 00:00 | 近代

カミーユ・クロデール

◆カミーユ・クロデール 
1864-1943 79歳没

カミーユは彫刻家ロダンの弟子だった。カミーユ19歳、ロダン42歳。
やがて二人は愛し合うようになるが、
ロダンには内縁の妻ローズがいたため三角関係となる。
この三角関係は15年続いた。

ロダンはどちらかを選ぶことができなかった。
カミーユが妊娠し中絶したのをきっかけに二人の関係は破綻し、ロダンは妻の元へ帰った。

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カミーユ・クローデル 『分別盛り』 1913年 
妻を思わせる老婆に寄り添われ、カミーユを思わせる女を振り切る男の姿
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ロダンの弟子だった頃、彼女は自分自身の作品を作らなかった。
すべてをロダンの作品につぎ込んだのだ。
ゆえに当時のロダンの作品は共作と呼ばれるものなのだが、
もちろんロダンはそんなことは言わない。

独り立ちしたカミーユを待っていたのは、
何を作ってもロダンの物真似と思われることだった。


カミーユ・クローデル 『シャクンタラー』 1905年 
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ロダン 『永遠の偶像』 1889年
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やがて彼女は精神を蝕まれ40代で発狂する。
そして精神病院から出ることなく78歳で亡くなった。

精神を病んでからのカミーユは多くの作品を破壊した。
そして「ロダンが私のアイディアを盗みに来る」というのが口癖だったという。
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by wMUGIw | 2015-03-04 00:00 | 近代

モリスの妻

ロセッティ 『プロセルピナ』 1874年
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プロセルピナはローマ神話の女神。ギリシャ神話ではペルセポネと呼ばれる。
冥界の果物ザクロを口にしたため冥界の王の花嫁となる。
その結果、一年の半分を冥界で半分を地上で暮らすこととなる。

ヴィクトリア時代の画壇に新風を巻き起こしたのが「ラファエロ前派兄弟団」である。
ラファエロの描く形式的で優美な絵ではなく、
ラファエロ以前の初期イタリアルネッサンス絵画に戻ろうとする運動だった。

ラファエロ前派のメンバーの好みは、
社会的階級が低く充分な教育を受けていない娘を街で拾い、
立派なレディに育て上げて結婚するという傾向があった。
いわゆるピグマリオンコンプレックスである。
事実『マイ・フェア・レディ』の原作『ピグマリオン』を書いたバーナード・ショーも
ラファエロ前派と交流があった。




★ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 
1828-1882 54歳没

この絵のモデル ジェーン・バーデンはラファエロ前派の画家ロセッティに見いだされた。
当時の美女とは小柄で丸顔明るく可愛らしい女性のことだった。
しかしジェーンはまったく逆の容姿をしていた。
ギリシャ風の顔、大柄な身体、大きな手、コンプレックスの塊であったが
ロセッティが美しいと褒め称えた。
物憂げな眼差し、官能的な唇、燃えるような髪。
19世紀のイギリスでは長い髪は女性の罪の象徴だとされ、
人前で髪をほどくことは許されなかった。
やがて彼女は美貌のモデルとして有名になる。

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■ウィリアム・モリス 
1834-1896 62歳没

そして「モダンデザインの父」と言われるウィリアム・モリスの妻となる。
ジェーンの結婚後もロセッティは彼女をモデルに絵を描き続けた。
ジェーンとロセッティは不倫関係にあった。
関係を知ったモリスは、妻を失いたくなかったため取り決めをした。
一年の半分をモリスと、半分をロセッティを過ごすというものだった。
この三角関係はロセッティの死によって終わるが、
モリスは二人を非難する言葉を一切残していない。

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◆ジェーン・バーデン 
1839-1914 75歳没

彼女は無口な女性だった。
それが彼女をいっそうミステリアスに見せていたのだが、
実は教育を受けてないこと、発音が上品でないことがジェーンを無口にさせていたのだ。
二人の娘を生んだが、彼女は夫を愛したことはなかったと友人に語っている。

もし彼女が同じ階級の男性と結婚していたら、笑顔とおしゃべりを見せていたのだろうか。

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by wMUGIw | 2015-03-03 00:00 | 近代

ピカソの女たち

◆パプロ・ピカソ 
1881-1973 92歳没

ピカソははっきりとわかっているだけで9人の女性と深い関係を持った。
4人の子供が生まれ、2人の女と1人の孫が自殺し、2人の女が狂った。




★ジェルメーヌ・ガルガーリョ

スペインからパリへ行くことを渇望していたピカソに裕福な親友が彼の分も出してくれた。
親友はスペイン系フランス人の絵のモデル・ジェルメールに恋をする。
しかし失恋した親友はピストルでジェルメールを撃ち、自分もその場で自殺した。
ジェルメールは一命をとりとめ、ピカソは彼女と恋愛関係になる。

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★フェルナンド・オリヴィエ/フェルナンド・ベルヴァレー
1881-1966 85歳没

ある日、フェルナンドがアパートに入ろうとすると、
同じアパートのピカソが子猫を抱いて立ちふさがり、子猫をひょいと渡し部屋へ誘った。
彼女はユダヤ系フランス人で、妊娠して恋人と結婚したものの、
子供が生まれると相手は失踪してしまった。
彫刻家と再婚するが破局した。
そしてピカソと恋愛関係になった。

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左から フェルナンド ピカソ 建築家ラモン・レヴェントス
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★マルセル・アンベール/エヴァ・グエ
1885-1915 30歳没

もともとマルセルは知人の画家と同棲していた。
マルセルとの関係を知ったフェルナンドは怒って若い画家と当てつけの駆け落ちをする。
ところがピカソもマルセルを連れて駆け落ちしてしまう。
しかしマルセルは結核で死亡する。

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★ギャビー・レスピナス

年上の人妻。
レスピナス夫妻の死後、遺品整理をしていた遺族によってピカソとの関係が発見される。
女なしでは生きていけないピカソは、マルセルの入院中からギャビーと関係していた。

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★オルガ・コルオーヴァ
1891-1955 64歳没

バレリーナ。
バレリーナとしては平凡でだったが、父親はロシア帝政時代の将軍であった。
ピカソがこれまで出会ったパリの街の女たちとは違っていた。
ピカソはオルガと初めての結婚をする。

「これからは、私の顔がはっきりとわかる絵を描いてほしい」と彼女はピカソに注文した。
オルガの理想はきちんとしたブルジョワ生活を送り、社交界に出入りすることだった。
男児パウロも生まれたが、ピカソは次第に結婚生活に息苦しくなってくる。

ピカソに捨てられた後、精神病となり死ぬまで離婚に応じなかった。
また、孫がピカソの死後自殺している。

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★マリー・テレーズ・ワルテル
1909-1977 68歳没

ある日ピカソはデパートの前を歩いていた17歳のマリー・テレーズの腕をつかんだ。
そして彼女に「君の絵を描きたい。私はピカソだ」と言った。
彼女はスポーツ好きで芸術にはまったく興味がなかった。
欲のない彼女とはのびのびとした生活が楽しめた。
マリー・テレーズが妊娠したため、オルガに離婚を申し入れたが彼女は承知しなかった。
その後オルガは死ぬまで離婚に応じなかった。
マリー・テレーズは女児マイアを生むが、母となった肉体にピカソは創作意欲を失った。
ピカソの死後首つり自殺した。

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★ドラ・マール
1907-1997 90歳没

ピカソは女流カメラマン・画家のドラ・マールと出会う。
その才気あふれる激しい内面はピカソを刺激した。
ピカソの芸術的側面に関心を持たないマリー・テレーズと異なり、
ドラは芸術に関しても、社会や人生に関しても、
ピカソと対等に話ができる自立した女性であった。
しかし、オルガ、マリーとの四角関係の中で、ドラは精神的に不安定となっていく。
ピカソに捨てられた後は修道女となる。

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★フランソワーズ・ジロー
1921-現在

フランソワーズは画学生だった。
彼女はピカソと生活を共にしながらも自分を失わなかった。
フランソワーズはピカソが共に暮らした女性の中で最もバランスのとれた人物であった。
男児クロードと女児パロマの二人の子供が生まれる。
パロマは後にデザイナーとなったパロマ・ピカソである。

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ホホホ 生き残ったのは私だけ   傘をお持ちするピカソ
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★ジャクリーヌ・ロック
1926 -1986 60歳没

この時期ピカソは陶芸に熱中していた。
その工房で働いていたジャクリーヌ・ロックと関係を持つようになった。
ジャクリーヌは離婚して娘を抱え、陶房の手伝いをしていた。


フランソワーズは二人の子供を連れてピカソの家を出た。
そして別の男性と再婚した。
フランソワーズはピカソを捨てた唯一の女性と言われる。

やっと最初の妻オルガが亡くなった。
そこでピカソはフランソワーズに復讐をした。
当時フランソワーズは二人の子供の認知を求めていたので、
ピカソはフランソワーズに「今の夫と離婚すれば入籍する」と言った。
フランソワーズは夫と離婚したが、
ピカソはフランソワーズを裏切りジャクリーヌと再婚した。
後にフランソワーズはアメリカ人科学者と再々婚した。

ジャクリーヌはピカソが亡くなるまで最後の妻だった。
ピカソの死後ピストル自殺する。

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by wMUGIw | 2015-03-02 00:00 | 現代

アルマ・マーラー

◆アルマ・マーラー 
1879-1964 85歳没

父親は裕福な画家で、両親のサロンには様々な芸術家が集まった。
アルマはその芸術家たちのミューズであった。

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★初恋の人 画家グスタフ・クリムト
1862-1918 56歳没

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■最初の夫 作曲家グスタフ・マーラー
1860-1911 51歳没

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★恋人 画家オスカー・ココシュカ
1886-1980 94歳没

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■2番目の夫 建築家ヴァルター・グロピウス
1883-1969 86歳没

マーラーとの夫婦仲が冷え切っていたアルマはグロピウスから求婚される。
焦ったマーラーはフロイトの診察を受けたりして関係修復に努めるも急死、
未亡人となったアルマはグロピウスやココシュカを含め男性遍歴を重ねていく。
そしてグロピウスを選んで再婚した。

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■3番目の夫 小説家・劇作家フランツ・ヴェルフェル
1890-1945 55歳没

アルマはヴェルフェルと再々婚した。
アルマの70歳の誕生日にココシュカからの電報が届いた。
「愛しいアルマ。僕たちは永遠に結ばれている」

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by wMUGIw | 2015-03-01 00:00 | 近代


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