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ロココ調ヘアスタイル

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ロココ時代に奇妙な髪形が流行った。
とにかく巨大さと奇抜さを競った。

この髪形を作るためには、丸めた硬い芯や入れ毛を頭髪に入れ込まなければならなかった。
髪自体を練った小麦粉で固めて、理想的な白さが得られるようにした。
練り粉が乾くと紙張子のような感じに仕上がる。
髪形もいろんなバリエーションがあった。
人物、馬車、庭、最新のゴシップ、話題の出来事が頭の上の飾りになった。

専門の髪結師が長時間かけて作り、
次の予約までは3~4週間待たなければならなかったから、
本人も相当の忍耐力を試される。
いくら堅く固めてあっても髪のセットは崩れやすい。
それにシラミの天国であった。
シラミやノミがひどい時は髪型に割れ目を作って虫退治が行われた。

男女ともに大量の小麦粉を消費したために、
食料用の小麦粉が不足し民衆の不満が高まった。
フランス革命の遠因となったとも言われる。


こんなのでマジに舞踏会に行っていたのであります
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風刺画  ここまで巨大になるとお付きの者が支える必要がありますね
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風刺画  支度も大変
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風刺画  もはや建築物
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by wMUGIw | 2016-01-15 00:00 | 近世

コワフュール・ア・ラ・フォンタンジュ

コワフュール・ア・ラ・フォンタンジュとは、フォンタンジュ風髪型の意味。
17世紀後半から18世紀前半にかけて流行した。

フランス国王ルイ14世の愛人であったフォンタンジュ夫人が王と狩りに行った時
帽子が風に飛ばされたてしまったため、
とっさに靴下留めのリボンで乱れた髪を結いあげた。
王がフォンタンジュ夫人の機転を喜んだことからヨーロッパ中に大流行した。

最初はリボンで高く髪を結いあげただけだったが、
徐々に高さを競い合うようになりタワーのようにそびえ立つまでになった。


モデルはイギリス女王メアリー2世さんです。
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映画『英国式庭園殺人事件』より
頭が高層ビル群のようになっています・・・
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by wMUGIw | 2016-01-14 00:00 | 近世

アンクロワイヤーブルとメルヴェイユーズ

フランス革命後のパリに異様な格好をした若者が現れた。
究極の洗練とは病弱なことであるとの考えのもとに、
男性は病み上がりのように髪はボサボサ、
首元には何重にもスカーフを巻き、人によっては口元まで隠していた。
近眼も病弱の一つと眼鏡をアクセサリーにし、ステッキではなく棍棒を持って歩いた。
何かと言うと「アンクロワイヤーブル!」(信じられない!)が口癖だったため、
彼らのことをアンクロワイヤーブルと呼ぶようになった。

対する女性の方は健康的というか健康的すぎるというか、
ギリシャ・ローマ時代をお手本にした透き通る布地で作ったドレス、
早い話がシュミーズ姿で歩き回った。
ついこの間までアントワネットを代表とするコルセットにパニエ、
天に届く髪型が主流だったが、
彼女たちはコルセットも下着も脱ぎ捨ててしまい、
シースルーのドレスでは丸見えの状態だった。
こちらは「素晴らしい!」というわけで「メルヴェイユーズ」と呼ばれた。


200年前の不良の男女
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前のめりに歩いてるのは病弱の演出?
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by wMUGIw | 2016-01-13 00:00 | 近代

エンパイアスタイル

フランス革命後、衣装は一変した。
ナポレオンによる帝政時代に当たるためエンパイアスタイルと呼ばれる。
ギリシャ・ローマ時代に着想を得ているため、
ゴテゴテの派手派手だったアントワネットのドレスから
シースルーのシュミーズ、つまり下着が公然と着られるドレスになったのである。
シュミーズの下はコルセットも下着もつけなかったので、痴漢が横行したという。

その上、冬でもこのドレスを着るのだ。
インフルエンザが流行すると多くの女性が亡くなった。
おしゃれも命がけである。


モデルはレカミエ夫人です。
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by wMUGIw | 2016-01-13 00:00 | 近代

マホとマハ

マホとマハはスペイン版モボ・モガです。(モダンガール・モダンボーイ)
いなせな男と小粋な女です。喋り方は下町のべらんめえ調。
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マホは縁取りの付いた短い上着を着てスカーフを巻き、頭に洒落た帽子をかぶり、
髪は長く伸ばして背中のあたりで結んでいる。
半ズボンは膝の下でキュッと締まり縁飾りがついており、
ストッキングに先の尖った女性用のような靴。
そしてウエストに幅広の飾り帯をする。
極端に言うと、闘牛士のような感じ。

マハは、ウエストを絞ったロングスカートに胸の開いたブラウス、
肩には薄い肩掛けをして髪に大きな櫛をさし、頭にはレースのショールを被る
先の尖った靴を履いて、扇子を持つ。
極端に言うと、カルメンのような感じ。

彼らは生粋のスペインっ子であることに誇りを持っており
そのため衣装もスペインの伝統的なデザインのものを身に着けていた。
18世紀後半になるとマホ・マハの格好を貴族が真似し始める。
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by wMUGIw | 2016-01-12 00:00 | 近世

スワドリング

西洋では赤ちゃんを布でぐるぐる巻きにする習慣が長い間続いていました。
これはスワドリングと呼ばれ、両脚をまっすぐにするために行われていたのです。
しかし赤ちゃんの脚を無理に伸ばすのはかえって股関節異常を招くので、
歴史上の王子や王女に脚の不自由な人が多いのもこの習慣のせいかもしれません。


フランス国王ルイ14世と乳母

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包帯からニット素材になってちょっと快適?

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子供が成長して2~3歳になると、今度は檻のような枠の中で何時間も立たせておきます。
こういう段階を科してやっときちんと二本足で歩けるようになると信じられていたのです。

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フランス国王アンリ2世&カトリーヌ・ド・メディチ夫妻の子供たち
エルキュール・フランソワ王子と双子のジャンヌ王女&ヴィクトワール王女
こ、これはあまりにも・・・ た~らこ~が や~ってくる~♪

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by wMUGIw | 2016-01-11 00:00 | 近世

召使いの名前

基本的に、使用人はファーストネームを呼び捨てされる。
ハウスキーパー(家政婦)とコック(女料理人)は、
未婚既婚に関係なくファミリーネームにミセスを付けて呼ばれる。
ガヴァネス(女家庭教師)は、ファミリーネームにミスを付けて呼ばれる。
レディーズメイド(小間使い)とパーラーメイド(客間女中)などの上級使用人は、
ファミリーネームのみで呼ばれる。

使用人には使用人らしい名前というものがあり、
本名がゴージャス過ぎる場合は無視して御家族が勝手に決めた。

メイドとして正しいファミリーネームとは、
スミスやジョーンズといった、イギリスでもっとも多いファミリーネームである。

そしてメイドとして正しいファーストネームとは、
メアリー、ジェーン、マーサなど、18世紀以前からある伝統的なファーストネームである。

役職ごとに固定の名前を決めているお屋敷もあった。
メイド頭は常にエミリー、その下はジェーン、
コックはシャーロットで、キッチンメイドはメアリーという風に。

男性の場合も同じく、
チャールズ、ジェイムズ、ジョン、ジョン・トマスなどと呼ばれるのが普通だった。
何人もの同じ役職の使用人がいる場合は、
第一使用人をチャールズ、次はジェイムズ、次はジョンとする。
それゆえ本名チャールズなのにジョンと変えられたりすると最初は混乱したそうだ。
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by wMUGIw | 2016-01-10 00:00 | 近代

グランドツアー

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18世紀イギリスでは、貴族の子弟たちを国際人に養成するために
ヨーロッパに遊学させるグランドツアーが流行していた。
当時文化的先進国であったフランスとイタリアが主な目的地で、一種の修学旅行である。

しかし私たちの修学旅行とはケタが違う。
日常生活に困らないよう使用人を多数引き連れ、
オックスフォードかケンブリッジの家庭教師を雇う。
現地では政治・経済・文化・語学などを家庭教師から学び、
観光や買い物、お土産選びを楽しむ。その期間は数年に及ぶ。
ローマでは、遺跡やルネサンスの作品を観て、ローマ帝国の偉大さに思いを馳せる。

貴族の子弟たちが触れるのは文化や伝統の香りばかりではなく、現地の悪臭だ。
道は泥んこ、宿屋のベッドは虫だらけ、パリもローマも糞と汚水にまみれた街だったのだ。
公衆衛生はイギリスの方が優れていたようだ。

またグランドツアーでやってくるおのぼりさんをカモにしようとする
現地の人間が手ぐすね引いている。
娼婦を買って病気をもらったり、賭博でいかさま師に騙されたり、
偽物の美術品をつかまされたり。

イギリス人はイギリス人同士で固まるので、語学も身につかない。

パリでは彼らはフランス風の衣服を身にまとい、
イギリスらしい田舎じみた痕跡を抹消しようとした。



フランス風に頭を盛り上げ、化粧をして帰ってきた息子の姿に仰天している父親の風刺画。
まさに放蕩息子の帰還である。
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by wMUGIw | 2016-01-09 00:00 | 近世

ファッションプレート

18世紀、流行のファッションは蝋人形で届いた。
上流階級には服屋から最新ファッションを身に着けた小さな蝋人形が届く。
蝋人形は最新ファッションをまとっている。
つまりこれは<カタログ>なのである。

しかしブルジョワ階級の勃興により沢山のカタログを送る必要に迫られた。
そこで蝋人形に代わる見本として印刷物がとって替わった。
ファッション・プレートの誕生である。

これまでファッションの発信地はイタリア、オランダ、イギリス、ロシア・・・と
様々であり、一国が独占することはなかった。
しかしファッション・プレートの誕生により、
フランスがヨーロッパのモードを支配するようになったのである。

それまでにも衣装に関するプレートは存在した。
しかしそれは王族などの衣装の記録や、民族の風俗・衣装の記録版画であり、
新しい流行を知らせるものではなかった。

そこで18世紀までの物はコスチューム・プレートと呼ばれ、
それ以降の物はファッション・プレートと呼ばれる。

このファッション・プレートは19世紀末で無くなっていくが、
ファッション・ブックやファッション・マガジンに発展していく。


当時の風俗もわかる
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男性服の流行もわかる
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子供服の流行もわかる
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ドレスの前と後がどのようになっているのかがわかる
(当時既製品は存在しませんから、仕立屋さんに頼む時にも自分で作る時にも必要)
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by wMUGIw | 2016-01-08 00:00 | 近代

バッスル

バッスルは19世紀後期に流行ったシルエット。
日本では明治の鹿鳴館の時代にあたる。

以下のような張り型でこのシルエットを作る。
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初期は比較的なだらかなラインでしたが
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最終的にここまでふくれました
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一時は円柱みたいなラインも登場しました。とても歩きにくかったそうです。
確かにコケたらどうやって立ち上がればいいのか・・・。
ま、貴婦人は絶対に一人で外出したりしませんでしたから大丈夫だったのでしょう。
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by wMUGIw | 2016-01-07 00:00 | 近代


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