直球感想文 別館

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by wMUGIw
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ユトリロの母

◆シュザンヌ・ヴァラドン 
1865-1938 73歳没

シュザンヌは洗濯女の私生児として生まれた。
母とともにパリへ移り住み絵のモデルになる。
美しいヴァラドンはモンマルトルの画家たちと奔放に恋愛し、
18歳で父親がわからない息子ユトリロを生む。

一流の画家に接することによって、彼女もまた画家を目指すようになった。
当時女性がヌードを描くことは挑発的だと非難されたが、
彼女はひるむことなく自分のテーマを追い続けた。
彼女のヌードからはエロティシズムよりも生の身体の迫力が伝わってくる。

ヴァラドンはユトリロが画家として成功するまで
息子に絵画の才能があるとは思っておらず、
また息子も母から絵画を学ぶことはなかったため、
互いに影響を受けることなく独自の画風を確立している。

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# by wMUGIw | 2014-01-06 00:00 | 近代

ミレイの妻

◆ユーミフィア/エフィ・グレイ 
1828-1897 69歳没

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■前夫 ジョン・ラスキン 
1819-1900 81歳没

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■後夫 ジョン・エヴァレット・ミレー 
1829-1896 67歳没

ユーフィミアは離婚訴訟を起こした。
しかし、ヴィクトリア時代の社会はユーフィミアを非難した。
一大スキャンダルとなったが、なんとか離婚が成立した。
そしてミレーとユーフィミアは結婚する。
そして8人もの子供が生まれた。

ラスキンの方は、39歳の時に10歳の少女に求婚したりした。

ちなみにラスキンはオックスフォードの教授だった時、
同僚のルイス・キャロルと親しかったそうだ。
類は友を呼ぶ…

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# by wMUGIw | 2014-01-05 00:00 | 近代

カミーユ・クロデール

◆カミーユ・クロデール 
1864-1943 79歳没

カミーユは彫刻家ロダンの弟子だった。カミーユ19歳、ロダン42歳。
やがて二人は愛し合うようになるが、
ロダンには内縁の妻ローズがいたため三角関係となる。
この三角関係は15年続いた。

ロダンはどちらかを選ぶことができなかった。
カミーユが妊娠し中絶したのをきっかけに二人の関係は破綻し、ロダンは妻の元へ帰った。

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カミーユ・クローデル 『分別盛り』 1913年 
妻を思わせる老婆に寄り添われ、カミーユを思わせる女を振り切る男の姿
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ロダンの弟子だった頃、彼女は自分自身の作品を作らなかった。
すべてをロダンの作品につぎ込んだのだ。
ゆえに当時のロダンの作品は共作と呼ばれるものなのだが、
もちろんロダンはそんなことは言わない。

独り立ちしたカミーユを待っていたのは、
何を作ってもロダンの物真似と思われることだった。


カミーユ・クローデル 『シャクンタラー』 1905年 
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ロダン 『永遠の偶像』 1889年
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やがて彼女は精神を蝕まれ40代で発狂する。
そして精神病院から出ることなく78歳で亡くなった。

精神を病んでからのカミーユは多くの作品を破壊した。
そして「ロダンが私のアイディアを盗みに来る」というのが口癖だったという。
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# by wMUGIw | 2014-01-04 00:00 | 近代

モリスの妻

ロセッティ 『プロセルピナ』 1874年
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プロセルピナはローマ神話の女神。ギリシャ神話ではペルセポネと呼ばれる。
冥界の果物ザクロを口にしたため冥界の王の花嫁となる。
その結果、一年の半分を冥界で半分を地上で暮らすこととなる。

ヴィクトリア時代の画壇に新風を巻き起こしたのが「ラファエロ前派兄弟団」である。
ラファエロの描く形式的で優美な絵ではなく、
ラファエロ以前の初期イタリアルネッサンス絵画に戻ろうとする運動だった。

ラファエロ前派のメンバーの好みは、
社会的階級が低く充分な教育を受けていない娘を街で拾い、
立派なレディに育て上げて結婚するという傾向があった。
いわゆるピグマリオンコンプレックスである。
事実『マイ・フェア・レディ』の原作『ピグマリオン』を書いたバーナード・ショーも
ラファエロ前派と交流があった。




★ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 
1828-1882 54歳没

この絵のモデル ジェーン・バーデンはラファエロ前派の画家ロセッティに見いだされた。
当時の美女とは小柄で丸顔明るく可愛らしい女性のことだった。
しかしジェーンはまったく逆の容姿をしていた。
ギリシャ風の顔、大柄な身体、大きな手、コンプレックスの塊であったが
ロセッティが美しいと褒め称えた。
物憂げな眼差し、官能的な唇、燃えるような髪。
19世紀のイギリスでは長い髪は女性の罪の象徴だとされ、
人前で髪をほどくことは許されなかった。
やがて彼女は美貌のモデルとして有名になる。

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■ウィリアム・モリス 
1834-1896 62歳没

そして「モダンデザインの父」と言われるウィリアム・モリスの妻となる。
ジェーンの結婚後もロセッティは彼女をモデルに絵を描き続けた。
ジェーンとロセッティは不倫関係にあった。
関係を知ったモリスは、妻を失いたくなかったため取り決めをした。
一年の半分をモリスと、半分をロセッティを過ごすというものだった。
この三角関係はロセッティの死によって終わるが、
モリスは二人を非難する言葉を一切残していない。

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◆ジェーン・バーデン 
1839-1914 75歳没

彼女は無口な女性だった。
それが彼女をいっそうミステリアスに見せていたのだが、
実は教育を受けてないこと、発音が上品でないことがジェーンを無口にさせていたのだ。
二人の娘を生んだが、彼女は夫を愛したことはなかったと友人に語っている。

もし彼女が同じ階級の男性と結婚していたら、笑顔とおしゃべりを見せていたのだろうか。

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# by wMUGIw | 2014-01-03 00:00 | 近代

エーメ・デュ・ビュク

◆エーメ・デュ・ビュク
1763-1817 54歳没

ナポレオンの前妻ジョゼフィーヌのいとこエーメ・デュブックは、
小さい頃に両親を亡くしたためマルティニック島でジョゼフィーヌと姉妹のように育った。
21歳のエーメは留学先のナントの修道院の寄宿学校から帰国する途中、
乗った船が海賊に襲われる。
そして女奴隷としてトルコのスルタンのハーレムに売られてしまったエーメは
泣き暮らしながら考えた。
オダリスクと呼ばれる女たちはハーレムからは一生出られない。
出るためには次のスルタンの母となるしかない。
スルタンのアブドゥル・ハミト1世はエーメに夢中になり
1年後金髪のマフムット王子が生まれた。
しかし母と王子という親子は他に何組もいた。
どの王子が次のスルタンになるかで母の地位も決まる。
ライバルが死んだり陰謀で自滅したりで、
晴れてエーメの子マフムット王子がマフムット2世としてスルタンに即位した。
とうとうエーメは異国トルコの地で女性の最高位に上りつめたのである。
この時エーメは44歳になっていた。
マフムット2世の時代には様々な分野に西洋様式を採り入れた。

ナポレオンが子供ができないことを理由に
ジョゼフィーヌと離婚したことを聞いたエーメは激怒する。
ナポレオンのロシア遠征の際に援軍を要請されたのにも関わらず、
トルコ軍を派遣しなかったのはエーメの復讐であった。



オスマン・トルコにハーレムができたのは
新しい宮廷がイスタンブールにおかれた15世紀といわれている。
ハーレムは「禁じられた」「神聖な」という意味で、
転じて外部の者を禁ずる場所という存在となった。

ハーレムには500人ほどの女性がいたが、
略奪されたり献上されたり奴隷市場で買われたりして集まった。
女性たちは礼儀作法や手芸、歌、踊り、楽器の演奏などから
言葉づかいまで訓練を受けた。
この女性たちはカディンという。
カディンの中からスルタンの正妻となる者が選ばれる。
正妻はスルタナと呼ばれる。
しかし、ハーレムの最上位はスルタンの生母である。

オスマン・トルコが国土を拡張するにつれて通常の婚姻が不可能になってきた。
そこで血統を絶やさぬためにハーレムが必要となったのである。
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# by wMUGIw | 2014-01-02 00:00 | 近代


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