直球感想文 別館

2017年 更新中
by wMUGIw
カテゴリ
古代
中世
近世
近代
現代
その他
以前の記事

コッドピース

もともとズボンやタイツは脚の部分しかなかった。
つまり長い靴下を上着に結び付けて使用していた。
要するに大事な三角地帯はガラ空きになる。
そこで「コッドピース」と呼ばれる股袋が必要であった。
これは14世紀から16世紀末にかけて流行した。

実用だったコッドピースはだんだん男性自身を誇張するためのものとなり、
リボンやレース、宝石などで飾られるようになった。
さらにワラやおがくずといった詰め物で上げ底されるようになる。
ポケットのように小物入れとしても利用され、果物や菓子、貨幣などを入れていた。
でも、コッドピースから取り出した果物なんかもらっても困りますよね。

ちなみに19世紀になるまで子供服というのは存在せず大人の服の縮小版を着ていたので、
当時は子供もコッドピースを身に着けていた。


モデルはスペイン国王カルロス1世さんです。
犬も、ご本人も、ここを見てくれ!と言わんばかりの構図が笑えます。
c0297671_22282182.jpg

[PR]
# by wMUGIw | 2016-01-01 00:00 | 近世

ダリの妻

『ポルト・リガトの聖母』 1950 ダリ
c0297671_395434.jpg



サルバドール・ダリ 
1904-1989 85歳没
ガラ・エリュアール 
1894-1982 88歳没


この絵のモデルは妻ガラである。
ガラは悪妻と言われる。
詩人の妻だったガラはダリと恋に落ち、夫と子供を捨ててダリと結婚する。
しかし若いアーティストたちと奔放に恋愛を楽しみ、ダリを苦しめた。

また、アメリカならダリの絵が売れると確信して、
ダリとアメリカに渡り大々的なプロモーションをした。
ダリの奇抜なルックスやパフォーマンスもガラの演出だった。
周囲は非難したが、ダリのガラへの愛は揺るがなかった。

ダリはスペインの裕福な家庭に生まれた。
ダリが生まれる前に死んだ兄がいて、
両親は生まれた子に死んだ兄と同じサルバドールという名前をつけた。
すでに存在しない人間と同じ名前をつけられたことで、
ダリは生涯自分の命を実感できずに苦しむことになる。
兄の部屋に連れて行かれるのが何よりも恐ろしかったと語っている。

「ガラは私を現実から守ってくれる殻である」とダリは言った。
「ガラの存在なしでは私はダリになりえなかった。
彼女は私の母であり、私の酸素であった」
ダリにとってガラはついに聖なる存在にまで昇りつめたのだ。

ガラが亡くなるとと激しく落胆し、プボル城に引きこもった。
生涯、絵を描くこともなくなってしまった。

c0297671_310416.jpg

c0297671_3105267.jpg

c0297671_311132.jpg

[PR]
# by wMUGIw | 2015-03-09 00:00 | 現代

ベルト・モリゾの娘

◆ジュリー・マネ 
1878-1966 88歳没

ジュリー・マネは女流画家ベルト・モリゾと
モネの弟ウジェーヌ・モネ夫妻の一人娘である。
両親のサロンには様々な画家たちが集まった。

印象派の仲間としてルノワールを支えてくれたモリゾの夫ウジェーヌが亡くなった。
その後、母モリゾも喪って孤児となった16歳のジュリーの後見人を
ルノワール、ドガ、マラルメが務めた。

そして22歳の時、画家のエルネスト・ルアールと結婚した。


ルノワール 『ジュリー・マネ』 1887年
c0297671_344737.jpg


ルノワール 『ベルト・モリゾとジュリー』 1894年
c0297671_345696.jpg



c0297671_35779.jpg


左側エルネスト&ジュリー夫妻 
右側ポール・ヴァレリー&ジュリーのいとこジャニ・ゴビヤール夫妻
c0297671_351991.jpg

[PR]
# by wMUGIw | 2015-03-08 00:00 | 近代

ベルト・モリゾ

マネ 『バルコニー』 1868年 座っている女性がベルト
c0297671_2562357.jpg



◆ベルト・モリゾ 
1841-1895 54歳没


■夫 マネの弟 ウジェーヌ・マネ
1833-1892 59歳没


ベルト・モリゾは高級官僚の娘で画家を目指していたが、それは容易なことではなかった。
女性が外で働くことさえ稀な時代であり、国立美術学校も女性の入学を認めていなかった。
女性たちはルーヴル美術館で模写をしながら絵を学んでいたのである。
そんな彼女に、マネがモデルになってほしいと声をかける。
ベルトはこれをきっかけに絵画の教えを受けようとしたが、
マネは彼女をモデルに次々と傑作を生み出すのみであった。

マネはベルトに自分の画風を見習うように強制した。
黒を基調とするマネに対して、ベルトは全体的に白い色調で柔らかな絵を描いたからだ。
さらにベルトがサロンに出店するために描いた
『モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人』をマネは描き直した。
この絵は入選を果たしたが、川に身を投げた方がましと彼女は言った。

彼女は師を離れて印象派に参加する。
そしてマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚し、夫の支えで次々と作品を生み出して行った。

c0297671_2565159.jpg

c0297671_2565965.jpg

c0297671_257913.jpg

[PR]
# by wMUGIw | 2015-03-07 00:00 | 近代

ユトリロの母

◆シュザンヌ・ヴァラドン 
1865-1938 73歳没

シュザンヌは洗濯女の私生児として生まれた。
母とともにパリへ移り住み絵のモデルになる。
美しいヴァラドンはモンマルトルの画家たちと奔放に恋愛し、
18歳で父親がわからない息子ユトリロを生む。

一流の画家に接することによって、彼女もまた画家を目指すようになった。
当時女性がヌードを描くことは挑発的だと非難されたが、
彼女はひるむことなく自分のテーマを追い続けた。
彼女のヌードからはエロティシズムよりも生の身体の迫力が伝わってくる。

ヴァラドンはユトリロが画家として成功するまで
息子に絵画の才能があるとは思っておらず、
また息子も母から絵画を学ぶことはなかったため、
互いに影響を受けることなく独自の画風を確立している。

c0297671_2515379.jpg

c0297671_252544.jpg

c0297671_2521495.jpg

c0297671_2522310.jpg

[PR]
# by wMUGIw | 2015-03-06 00:00 | 近代


お気に入りブログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル