直球感想文 別館

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女騎士エオン

◆エオン・ド・ボーモン/ジュヌヴィエーヴ・ド・ボーモン
1728-1810 82歳没

法律家ルイ・ド・ボーモンの息子として生まれ、法律を学び外交官となった。
エオンは政治・経済から剣術・馬術も堪能な文武両道かつ美男子だった。
そこでフランス国王ルイ15世はエオンに女装をさせ、
<シュヴァリエール・エオン>(女騎士エオン)として活用する。
男か女かフランス中の貴族から労働者までが賭けをした。

エオンに与えられた任務は、
断絶に近い状態にあったロシアとフランスの国交を回復させること。
女装してロシアのエリザヴェータ女帝の宮廷にもぐり込んだエオンは、
フランス仕込みの洗練された優美さでたちまち女帝のお気に入りとなった。
デオンは女帝にルイ15世からの親書を渡し、女帝から返書を得ることに成功した。
次の任務はイギリス国王ジョージ3世の軍事機密を盗むことで、
王妃に近づきこれに成功した。

しかしフランス革命により失脚、イギリスに亡命したデオンは
女装でフェンシングの見世物などをして83歳で亡くなった。
by wMUGIw | 2011-05-01 00:00 | ヒト

メイドとジェントルマンの恋

ヴィクトリア時代にメイドとジェントルマンが結婚したケースがあった。
これだけ聞くとロマンスだが、この二人には裏があった。
裏というより奥行きかもしれない。
身分違いの恋、マニア、フェチ、覗き、SM、コスプレ、トランスジェンダー…
二人の関係には様々な要素が含まれている。


◆アーサー・ジョセフ・マンビー 
1828-1910 82歳没
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アーサーはアッパー・ミドル・クラスに生まれ、ケンブリッジ大学を卒業して法廷弁護士となった。
二十代の頃から、趣味として女性労働者の生活や写真を収集していた。
当時蔑まれていた女性労働者に尋常ではない関心を抱き、
彼女たちの労働内容、服装、人格を毎日執拗に記録していた。
労働者階級の女たちを観察したいという欲求のためだけにフランスに出かけたこともあった。
街で女性に気安く話しかけるという習慣が災いして、
切り裂きジャックの疑いをかけられたこともあった。
この趣味は家族も友人も誰一人知る者はなかった。


◆ハナ・カルウィック 
1833–1909 76歳没
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ある日、アーサーは黒いボンネットを被った長身で姿勢の良い女性を見かけ話しかけた。
彼女の名はハナ・カルウィック、8歳からメイドとして働いてきた女性だ。
アーサー25歳、ハナ20歳の時のことだった。

二人はアーサーの部屋で秘密の時間を過ごすようになる。
しかしこれは大変危険なことだった。
当時、身分違いの恋愛は、アーサーにとってもハナにとっても、
解雇されても当然のタブーだったのである。
しかし、二人は密室でファンタジーを楽しんだ。

ハナは外出着ではなく汚れた雑役女中の服を着て、
彼の足もとに跪いてブーツを舌できれいにした。
ハナがいろいろな女性や男性に扮したコスプレ写真も撮っている。
ハナがアーサーを持ち上げて部屋を歩き回ったりもした。
ハナは手首に奴隷のバンドを巻き、首には鍵付きの首輪をしていた。
二人は一緒のときは部屋でプレイし、離れている時には日記でプレイをした。
時には、アーサーは勤め先でハナが玄関回りを四つんばいになって掃除しているところを
見に来たりした。


メイド
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貴婦人
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男装
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煙突掃除夫
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聖女
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アーサーはこうした携帯型アルバムの左右に
ハナの対照的な写真を入れて持ち歩いていた
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19年後二人は、アーサー44歳、ハナ39歳の時に結婚したが、ハナは乗り気ではなかった。
秘密の結婚式を挙げ、フランスでのハネムーンから戻ると、
ハナは貴婦人のドレスを脱ぎ再びメイドを続けた。
それはアーサーの希望でもあった。

後に一時同居したこともあったが、うまくいかなかった。
ファンタジーと日常生活の両立が難しかったのだろう。
ハナは田舎に移った。
お互いに行き来はあったが、生涯別居のままであった。
二人の関係は死が二人を分かつまで50年に及んだ。


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by wMUGIw | 2011-04-03 00:00 | ヒト

マタ・ハリ

芸名 マタ・ハリ(マレー語で太陽の意味)
本名 マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ
1867-1917 50歳没 

*第一次世界大戦中ドイツ側スパイとして処刑

裕福なオランダ人の両親のもとに生まれたが、父が事業に失敗して一家離散となる。
19歳の時、新聞広告で花嫁を募集していた
11歳年上のオランダ人将校ルドルフ・ジョン・マクリード大尉と結婚、
オランダ領であったジャワに赴任する。

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2人の子供をもうけるが7年後に離婚、
パリにやってきたマルガレータは、
ジャワ出身の踊り子マタ・ハリと名乗り、一世を風靡する。
ほとんどストリップショーのようなものであったが、胸だけは絶対に見せなかった。
乳房が垂れているのが欠点だったからである。

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当時のダンサーは高級娼婦とイコールであり、
軍服好きのマタ・ハリは特に軍人を好んだ。
フランス軍人・ドイツ軍人を始め各国の軍人と関係を持つにつれ、
スパイとして利用されることになる。
コードネームは「H1」であったが、大した働きをしたわけではなかった。
右から聞いたことを左へ、左から聞いたことを右へ、
スパイという立場に酔って囁いただけである。
しかしフランス・ドイツ両軍人と関係を持っていたマタ・ハリは二重スパイを疑われ、
パラス・ホテルの自室で朝食中に逮捕される。

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逮捕状 
マルガレータ・ツェレ、別名マタ・ハリ、
外国人、オランダ生まれ、宗教プロテスタント、身長175センチ、
スパイ行為において敵国に通じ作戦に加担したとして告発する。
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1917年02月13日マタ・ハリはパリ裁判所に連行され、
4ヶ月後の10月15日早朝処刑された。

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by wMUGIw | 2011-04-02 00:00 | ヒト

カミーユ・クロデール

◆カミーユ・クロデール 
1864-1943 79歳没

カミーユは彫刻家ロダンの弟子だった。カミーユ19歳、ロダン42歳。
やがて二人は愛し合うようになるが、
ロダンには内縁の妻ローズがいたため三角関係となる。
この三角関係は15年続いた。

ロダンはどちらかを選ぶことができなかった。
カミーユが妊娠し中絶したのをきっかけに二人の関係は破綻し、ロダンは妻の元へ帰った。

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カミーユ・クローデル 『分別盛り』 1913年 
妻を思わせる老婆に寄り添われ、カミーユを思わせる女を振り切る男の姿
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ロダンの弟子だった頃、彼女は自分自身の作品を作らなかった。
すべてをロダンの作品につぎ込んだのだ。
ゆえに当時のロダンの作品は共作と呼ばれるものなのだが、
もちろんロダンはそんなことは言わない。

独り立ちしたカミーユを待っていたのは、
何を作ってもロダンの物真似と思われることだった。


カミーユ・クローデル 『シャクンタラー』 1905年 
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ロダン 『永遠の偶像』 1889年
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やがて彼女は精神を蝕まれ40代で発狂する。
そして精神病院から出ることなく78歳で亡くなった。

精神を病んでからのカミーユは多くの作品を破壊した。
そして「ロダンが私のアイディアを盗みに来る」というのが口癖だったという。
by wMUGIw | 2011-04-01 00:00 | ヒト

ユトリロの母

◆シュザンヌ・ヴァラドン 
1865-1938 73歳没

シュザンヌは洗濯女の私生児として生まれた。
母とともにパリへ移り住み絵のモデルになる。
美しいヴァラドンはモンマルトルの画家たちと奔放に恋愛し、
18歳で父親がわからない息子ユトリロを生む。

一流の画家に接することによって、彼女もまた画家を目指すようになった。
当時女性がヌードを描くことは挑発的だと非難されたが、
彼女はひるむことなく自分のテーマを追い続けた。
彼女のヌードからはエロティシズムよりも生の身体の迫力が伝わってくる。

ヴァラドンはユトリロが画家として成功するまで
息子に絵画の才能があるとは思っておらず、
また息子も母から絵画を学ぶことはなかったため、
互いに影響を受けることなく独自の画風を確立している。

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by wMUGIw | 2011-03-05 00:00 | ヒト

ベルト・モリゾの娘

◆ジュリー・マネ 
1878-1966 88歳没

ジュリー・マネは女流画家ベルト・モリゾと
モネの弟ウジェーヌ・モネ夫妻の一人娘である。
両親のサロンには様々な画家たちが集まった。

印象派の仲間としてルノワールを支えてくれたモリゾの夫ウジェーヌが亡くなった。
その後、母モリゾも喪って孤児となった16歳のジュリーの後見人を
ルノワール、ドガ、マラルメが務めた。

そして22歳の時、画家のエルネスト・ルアールと結婚した。


ルノワール 『ジュリー・マネ』 1887年
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ルノワール 『ベルト・モリゾとジュリー』 1894年
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左側エルネスト&ジュリー夫妻 
右側ポール・ヴァレリー&ジュリーのいとこジャニ・ゴビヤール夫妻
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by wMUGIw | 2011-03-04 00:00 | ヒト

ベルト・モリゾ

マネ 『バルコニー』 1868年 座っている女性がベルト
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◆ベルト・モリゾ 
1841-1895 54歳没


■夫 マネの弟 ウジェーヌ・マネ
1833-1892 59歳没


ベルト・モリゾは高級官僚の娘で画家を目指していたが、それは容易なことではなかった。
女性が外で働くことさえ稀な時代であり、国立美術学校も女性の入学を認めていなかった。
女性たちはルーヴル美術館で模写をしながら絵を学んでいたのである。
そんな彼女に、マネがモデルになってほしいと声をかける。
ベルトはこれをきっかけに絵画の教えを受けようとしたが、
マネは彼女をモデルに次々と傑作を生み出すのみであった。

マネはベルトに自分の画風を見習うように強制した。
黒を基調とするマネに対して、ベルトは全体的に白い色調で柔らかな絵を描いたからだ。
さらにベルトがサロンに出店するために描いた
『モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人』をマネは描き直した。
この絵は入選を果たしたが、川に身を投げた方がましと彼女は言った。

彼女は師を離れて印象派に参加する。
そしてマネの弟ウジェーヌ・マネと結婚し、夫の支えで次々と作品を生み出して行った。

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by wMUGIw | 2011-03-03 00:00 | ヒト

エーメ・デュ・ビュク

◆エーメ・デュ・ビュク
1763-1817 54歳没

ナポレオンの前妻ジョゼフィーヌのいとこエーメ・デュブックは、
小さい頃に両親を亡くしたためマルティニック島でジョゼフィーヌと姉妹のように育った。
21歳のエーメは留学先のナントの修道院の寄宿学校から帰国する途中、
乗った船が海賊に襲われる。
そして女奴隷としてトルコのスルタンのハーレムに売られてしまったエーメは
泣き暮らしながら考えた。
オダリスクと呼ばれる女たちはハーレムからは一生出られない。
出るためには次のスルタンの母となるしかない。
スルタンのアブドゥル・ハミト1世はエーメに夢中になり
1年後金髪のマフムット王子が生まれた。
しかし母と王子という親子は他に何組もいた。
どの王子が次のスルタンになるかで母の地位も決まる。
ライバルが死んだり陰謀で自滅したりで、
晴れてエーメの子マフムット王子がマフムット2世としてスルタンに即位した。
とうとうエーメは異国トルコの地で女性の最高位に上りつめたのである。
この時エーメは44歳になっていた。
マフムット2世の時代には様々な分野に西洋様式を採り入れた。

ナポレオンが子供ができないことを理由に
ジョゼフィーヌと離婚したことを聞いたエーメは激怒する。
ナポレオンのロシア遠征の際に援軍を要請されたのにも関わらず、
トルコ軍を派遣しなかったのはエーメの復讐であった。



オスマン・トルコにハーレムができたのは
新しい宮廷がイスタンブールにおかれた15世紀といわれている。
ハーレムは「禁じられた」「神聖な」という意味で、
転じて外部の者を禁ずる場所という存在となった。

ハーレムには500人ほどの女性がいたが、
略奪されたり献上されたり奴隷市場で買われたりして集まった。
女性たちは礼儀作法や手芸、歌、踊り、楽器の演奏などから
言葉づかいまで訓練を受けた。
この女性たちはカディンという。
カディンの中からスルタンの正妻となる者が選ばれる。
正妻はスルタナと呼ばれる。
しかし、ハーレムの最上位はスルタンの生母である。

オスマン・トルコが国土を拡張するにつれて通常の婚姻が不可能になってきた。
そこで血統を絶やさぬためにハーレムが必要となったのである。
by wMUGIw | 2011-03-02 00:00 | ヒト

アルマ・マーラー

◆アルマ・マーラー 
1879-1964 85歳没

父親は裕福な画家で、両親のサロンには様々な芸術家が集まった。
アルマはその芸術家たちのミューズであった。

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★初恋の人 画家グスタフ・クリムト
1862-1918 56歳没

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■最初の夫 作曲家グスタフ・マーラー
1860-1911 51歳没

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★恋人 画家オスカー・ココシュカ
1886-1980 94歳没

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■2番目の夫 建築家ヴァルター・グロピウス
1883-1969 86歳没

マーラーとの夫婦仲が冷え切っていたアルマはグロピウスから求婚される。
焦ったマーラーはフロイトの診察を受けたりして関係修復に努めるも急死、
未亡人となったアルマはグロピウスやココシュカを含め男性遍歴を重ねていく。
そしてグロピウスを選んで再婚した。

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■3番目の夫 小説家・劇作家フランツ・ヴェルフェル
1890-1945 55歳没

アルマはヴェルフェルと再々婚した。
アルマの70歳の誕生日にココシュカからの電報が届いた。
「愛しいアルマ。僕たちは永遠に結ばれている」

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by wMUGIw | 2011-03-01 00:00 | ヒト

ミレイの妻

◆ユーミフィア/エフィ・グレイ 
1828-1897 69歳没

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■前夫 ジョン・ラスキン 
1819-1900 81歳没

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■後夫 ジョン・エヴァレット・ミレー 
1829-1896 67歳没

ユーフィミアは離婚訴訟を起こした。
しかし、ヴィクトリア時代の社会はユーフィミアを非難した。
一大スキャンダルとなったが、なんとか離婚が成立した。
そしてミレーとユーフィミアは結婚する。
そして8人もの子供が生まれた。

ラスキンの方は、39歳の時に10歳の少女に求婚したりした。

ちなみにラスキンはオックスフォードの教授だった時、
同僚のルイス・キャロルと親しかったそうだ。
類は友を呼ぶ…

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by wMUGIw | 2011-02-03 00:00 | ヒト


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